天然記念物柴犬保存会 「(略称「柴保」)」
天然記念物柴犬保存会「柴保」は、現在「柴犬」と呼ばれている太古の昔から日本の国土にいた犬を理想として純化し、保存する目的のもとに1959年に創設されました。
柴保の理念に深い理解を持たれた、人類学者の故・長谷部言人博士に名誉会長の席について頂き、故・中城龍雄が理事長となり、理想の実現を目指すために日本古来の犬に近い資質を持った犬を選び出し、それをもとに、多くの協力者と共にたゆまぬ作出努力を数十年間重ねてきました。
その結果、現在は日本犬小型(「柴犬」)の中でも、柴保の犬たちの頭骨は、額段がないか、あってもごく浅く、かつ大きな歯を持つという、縄文時代の遺跡から見つかった当時の犬たちの頭骨とよく似た特徴を備えるようになりました。(最近は「縄文柴犬」「縄文犬」などの呼称で表現されている場合もありますが、これらの名称は犬種名ではありません。)
その感性、知能、運動性、毛質等の面でも、日本の自然界に適合した資質を持つこの犬たちを、多くの人々に更に深く知って頂き、後世へ引きついでゆくことが当会の責務と考えています。
天然記念物柴犬保存会は、令和元年に創立60周年を迎えました。創設者・初代会長中城龍雄はその人生において、有形無形その持てるもの全てを傾け、日本古来の小型犬(柴犬)の作出・育成に努め、成功いたしました。
その偉業の精神を護り、「天然記念物柴犬」が日本の文化に占める貴重な地位を尊重しつつ、柴保の犬の本質の充実と発展のため、前進の歩みを続けてまいります。
創立者:中城龍雄(1904~1993)
明治37年(1904年)1月1日の辰年生まれ。縄文時代の犬を理想として柴保を創立。その人生において、有形無形その持てるもの全てを傾け、日本古来の柴犬を作出・育成に尽力し、会員の指導を行いました。
会長挨拶
当会の創立者の中城龍雄(1904〜1993)は、柴犬(日本犬小型)の純化と固定化を目指して、昭和34年(1959)8月9日に「天然記念物柴犬保存会(略称柴保)」を設立いたしました。
日本犬保存運動の中心的人物の一人で、当時は数が少なかった日本古来の優秀な日本犬小型(柴犬)の固定化と作出に力を注ぎました。
当時、日本各地で縄文時代の遺跡(貝塚など)が発掘される事により、きちんと埋葬された犬の骨が発掘されました。縄文時代の犬の骨は多く出土していますが、そのほとんどは身体を折り曲げたような姿で埋葬されていました。それは、人と共に狩をしていた犬たちを、縄文時代の人々が大切にしていたことを表しています。
昭和3年に日本犬保存会(日保)が創立され、やがて日本犬展の開催、犬籍登録、「日本犬標準」の制定など、順調な発展をとげました。日保では、日本犬を日本犬大型・日本犬中型・日本犬小型の3種とし、全国各地に残っていた各地の地域的な長所をもつ日本犬を、前記の3種とし、それぞれに固定化される努力が現在もつづけられています。
その後、日本犬それぞれに保存団体が設立され、そして昭和34年には中城龍雄(東京)を中心にして静岡、群馬、埼玉、東京の熱心な愛好家が集まり、『天然記念物柴犬保存会』の設立にいたりました。その後、中城龍雄会長が理想とする柴犬の研究・作出が、中城会長に共鳴・協力する周りの人々により、更に進みました。
その結果、額段(ストップ)の落ち込みのない、額と吻を結ぶ線が一直線に近く、下瞼が直線の深く沈んだ三角形の眼をした柴保の特徴を持つ柴犬が固定されました。
そして縄文時代の犬の研究も進み、当時この柴保の柴犬を見た学者・研究者が「まるで縄文犬が目の前に現れたようだ!」と驚きの声をあげたのです。
私が柴保と出会った30年前、愛犬雑誌の中で連載されていた「血統を守るたたかい(吉田悦子氏著)」の中の写真に、柴保の犬の、穏やかではあるが、心がスッと射られるような眼差しを感じました。
最後に、先人が積み上げてきた日本犬・柴保の柴犬の保存について、多くの皆様にご理解・ご協力いただけますよう、切に願っております。
創立日・役員名
- 創立 1959年8月9日(昭和34年)
- 創立者 中城龍雄(1904~1993)
- 第二代会長 中城ツル
- 第三代会長 照井光夫
- 第四代会長 安原賢治
- 第五代会長 照井光夫
本部所在地
〒166-0011 東京都杉並区梅里1-21-24 都筑方
電話: 03-3313-9829